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神工時報(復刻版) |
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2011年創立100周年 |
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第5号 昭和23年5月20日 |
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新たな自覚のもと 新制神工高を発展せん 昭和23年より新学制による6・3・3の内の新制高校が発足し、本校も神奈川県立神奈川工業高等学校として4月から輝かしくスタートした。 敗戦国とはいえ米国の好意により将来工業国として立つことが出来る事になり工業日本の建設につくす幾多の技術者を養成する本校が新制工業高等学校になったことは意義が深い事だ。 校舎を被災して現在やっと普通教室と教員室等が建設されたのみで工業高校に欠くべからざる工場はいまだ建設に着手していない。しかし、先生方や父兄先輩の後援により新制工業高等学校になり得た事は喜ばしい限りである。昇格はその名前だけであって良いものではなく内容をともなわなければならぬわれわれはいま新たなる自覚と責任のもとに37年の伝統ある本校を新生したこの学園をより以上良きものにしていかねばならぬ。 神工高の発展は全校の結束によってなされる。原理探索の道に学生の本分に一層努力し邁進しようではないか。 (昭和23年5月10日) 新しき出発に 学校長 山賀 辰治 自治会新聞「神工時報」が最初壁新聞で発足し、だんだんその価値を認識せられて新聞活字の印刷による新聞を出すようになってから既に第5号を重ねるに至ったことに対して新聞班の幹事諸兄のなみならぬ御努力を感謝します。 本校は戦災により全焼し校舎全部と一切の設備を烏有に帰し今日わずかにバラック建ての普通教室、教員室だけが建っているにすぎないのに、4月1日から新制工業高等学校として発足出来たことは日本経済の再建に工業の発展従って工業教育の充実が必要だという世論お動きと同校が開校以来工業界に対した偉大な功績が然らしめたものと信じます。本年度の第二期復興建設工事も決定せられ、次々に校舎の建設設備の充実も予定されていることは御同様喜びにたえない所でありますが、私共はそれだけ責任を負う覚悟が必要となります。 工業高等学校は将来工業を職として国家社会の有為優秀な形成者となることに努めなければなりません。世の中のことについても一層広く深い理解と健全なる所の批判力を養い個性の確立に努めなければなりません。 5月1日に本校は37回の創立記念日を迎える。焼土の上に平和的、民主的、文化的な新しい学園を建設するために生徒も職員も懸命に精進を続けている姿は雄々しく頼もしいが日本の国民は今皆再建の生活に苦しんでいる。ことに戦災者のくるしみは同情に値する。しかし明日に建設の光を望む苦しみであるからしてこれを克服して行く態度に明るいが力強を見られるのはうれしい。私共職員も生徒も一層立派な学校の建設に努力致しましょう。 (昭和23年5月10日) 部報 新制工高の発足に際して 本校は4月から新制工業高等学校として発足した。われわれはこのときに当って新たなる自覚と責任を必要とするのである。工業高等学校といっても総合実習工場が遠隔の地に在って学校工場を持たぬ不便さがあるわけである。 われわれが将来工業日本の中堅として活躍する基礎を作るところの学校、その学校において勉学人格完成技能の習得等は、方法如何によって決定される。この不完全な学校建設ながら新制工業高等学校として昇格し3年間自由なそして高度な勉学が出来る事は校長先生始め諸先生父兄先輩の方々の後援の結果であると信じるわれわれはこられの人々に満足をあたえるため一層努力せねばならぬ。 新しい高校制度について少し考えてみよう。それは、かつて弊衣破帽をもって高校生なりと自ら任じていた旧制高校をわれわれはまねる必要はないのである。彼等が青春の感情のはめ目をストーム・コンパ等に求め服衣に表していた。それらが悪いとはいえないがはたして正しい学生の姿とはいえないと思う。それらの旧制高校には多くの美点がある。そして旧制高校をなくすのは惜しいとしている人もある。だが時代はそれより以上新しいものを要求している。われわれはそれら旧制度にあこがれをもつ必要もなくそれをマネする必要もない。われわれ自身の手によって新しい気風を作れば良いのである。そこに新制高校の意義があるのであろう。 次に、新制高校と自治会について考えてみよう。学校に自治会がかくべからざるものになったのは近頃である。しかしいまだ完成されたとはいえない。自治会が生徒を横で連絡するものであれば先生と縦の連絡をするものでもある。自由な意見と討議は民主的なやり方であり、思索をゆたかにし人間性と人格を確立する。しかし、なにをするにおいても誠意がなければならない。自治会の幹部のみがんばって他の者が協力しなければだめなのである。そこに「やろう」と自治会で決めたことは自治会幹部だけが行うのではなく全員で喜んでする。 「やりゃいいじゃないか」といったような他人事のような事をいっていてはいけない。しかし学校当局が「やれ」と命令的にくればしぶしぶ行う。自治会で決めた事や権利は一向ききめがないが過去の天下り的な方法を許してしまうような場合を度々見せられる事がある。自分で自分を動かす。他人からとやかくいわれて動くような事ではその個人も面白くないだろう。自から治め責任をもって行動して自分たる者の価値がわかるのに他人からいわれてするのでは自尊心が傷つけられやしまいか。 われわれは新制高校生となったのであるから、自治する心で自覚と責任をもって行動し、他人にめいわくをかけないのが正しい学生の道だろう。高校生いうプライドが他人に動かされている心ではなさけなくなるだけだろう。われわれは新制高等学校に昇格したこのときに、考えを新たにしいつまでも閉じこもっていないようにしよう。 (昭和23年5月10日)
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