神工時報(復刻版)

 

2011年創立100周年

 

第6号 昭和23年7月20日

   

神工時報1周年記念 1周年記念のことば

昭和23年度の1学期も暮れ様としているこの7月、去年のやはり7月に先輩の黒田、大貫さんの手によって発行されてより第6号を数えここに1週年記念号を発することになりました。また神工時報の元は大正年間に出ており本号を入れると実に150号を数えるにいたりました。それを考えると時報も歴史は古く横浜市内の高校の中で一番最古を行くものであります。

我々新聞部の今後の新聞発行の目的と致しましては、以前の記事の内容とは少し異なって、本新聞は校内の事よりも主に郊外及び自治会の内容等とし、校内のニュースは生徒諸氏がここに書かなくても知っていられる事と思っています。現在の記事ではまだまだ十分とはいわれません。またこれより一大研究を重ね高等学校新聞の最高峰を行く時報にしていきたいと部員一同の努力をし校友諸氏の後援を切にお願い致します。

(新聞部長 稲葉)

(昭和23年7月20日)

「時報」も6号を重ねもう1周年になる。黒田君と共に育ててきた新聞―思い出は感無量である。「神工間部新聞」としての「時報」の前身は終戦直後混乱から少しはおちつきを取り戻した鶴見分校時代文芸部員たる黒田、岡田、大木、常磐の諸君に私を加えて発足したのであった。学園に文化的芽生えをしたものである。その努力は波大抵の事でなかったが、部員一同耐えて頑張って15号まで出した。

そして昨秋は新聞部は文芸部から独立し思い出の夏休み前の7月15日に活字印刷の「神工時報」が生まれてのである。部員一同の喜びは大変なものであった。その創刊号は私が編集した。しかし2号から4号まではほとんど黒田君が一手に引き受けて行った。私は演劇が忙しく4号は全く彼一人で行ってくれた。卒業して学校にいない彼の巧精は偉大なものであり深い感謝を捧げるしだいである。

そして5号から新人の稲葉君に編集のバトンが渡された。号を重ねて立派なものになっていくと思う。「時報」の1周年にあたり多大なる援助をいただいた五十川先生に深く感謝をいたし、「時報」の良き愛読者であり応援者である生徒の皆さんに今後とも「時報」を良き文化財として育てていっていただきたいと思います。

(新聞部顧問 大貫)